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2008年2月29日 (金)

山本 孝史議員:遺児へ最後のメッセージ!③

今日で、山本孝史議員:遺児への最後のメッセージの記載は終わります。

私も交通遺児で高校1年の時に交通事故(ひき逃げ)で父を亡くし、高校、大学へと交通遺児の奨学金で進学させて頂いた。山本先生との出会いについては、私が過ごしたクリスマスイヴに少し記載しています。

今は、介護老人保健施設に勤め、精神対話士して色々の活動に参加しています。これも、何かの縁だと思うのです。。。山本先生の残したメッセージを肝に命じて自分のできることで色々の悩み苦しみをそういういろいろな方たちの心をしっかり受け止めて色々の人達と手を結び合いながら活動して行きたいです。


法律を作るところまでが僕の仕事で、あとは患者会の人たちや市民団体、お医者さんたちが、それをベースに活動してくださって、また調子が悪くなったら僕がそこへ出て行って、

少し軌道修正をしたらいいのではないかと思ったので、すなわち一定のバトンタッチができるところまで自分自身が仕事をしたと思っているのでよかったと思っているのです。

これで役割の一つは終わったと思っています。ちょっと治療に力を入れてやらないとこれから先はないので、今、本当に細い崖っぷちを歩いているような状態が続いていますが、自分の体をいといながら、それでも自分の思いを伝えて生きたいというのは、

命って大切だ。命を皆で守らないといけない。いじめだとか、自殺とか、事故とか、災害とか、あるいは病気もそうですけれども、そこで絶対に救えた命があるはずだということです。

人間は、やはり人並みに普通の暮らしがしたい、人間らしく生きたい。月並みなことばだけれども、そう考えた時に、なぜ遺児になったら普通の暮らしが出来ないのか父親が母親がいなくなったら、なぜ普通の暮らしができずに、人権が守られないような世の中に放り出されてしまうのか。 

やはり、理不尽だ、おかしいと思います。政治がきちんと仕事をすれば、そんなことは全部解決できると思います。

最後に締めくくりの言葉として皆さんに申しあげておきたいのは、そういう体験をしているがゆえに、ほかの人の気持ちがわかる、そういう経験をする生活をしていたがゆえに、お母さんやお父さんや、みんなの気持ちが皆さんにはわかるのだろうと思います。

単に遺児家庭だけではなくて、障がい者の家庭も、あるいは高齢者の家庭も、そういう方々の気持ちが、きっと皆さんは一言聞いただけでわかるだけの能力を持っておられる。貴重な財産を持っておられると私は思います。

地域のリーダーとして

がん患者の先輩議員があれだけ頑張ってきて、ここまで持ち上げてきて下さったものを、バドンを受け取った私がさらに次へ進ませて、次の人にバトンタッチをしていく。

そういう思いの中で仕事をしている方と同じように、皆さん方にそういういろいろな方たちの心をしっかり受け止めてもらって、地域でいろいろな方たちと手を結び合いながら是非活動していく、是非地域のリーダーの一人にもなってほしいと思っています。

そうすれば、きっと世の中は変わっていく、よくなっていくと私は信じています。そう信じているがゆえに、私は少し安心しながらベッドの上に横になることができるというのが正直な気持ちです。

なんとかしゃべり切ることが出来ました。途中で倒れるのではないかと思いましたけれども、よかった。

最初で最後だと思います。皆さんと一期一会ですけれども、私のこの気持ちを受け止めていただいて、この夏のつどいで、頑張って欲しいなと思っております。時間を頂きましておおきに。ありがとう。

あしなが育英会通信 NEWあしながファミリー 第99号 2008年2月号より  大学生の感想!


お父さんを思い出した。私がその力になっていればという後悔と、これから誰かを助けられるかも知れない力をもっていることを気付かされた。私が出来ることを見つけていきたい。(伴 安香・大2)

ご自身ががんになったこと、それとともに命を守ることが使命だとおっしゃったことに非常に感銘を受けた。自分も親を亡くした経験をいかし、「命を守る」ということをしたいと思った。山本先生のように行きたいと強く思った。(峯田 洋輔・大3)

今までのブログ

2月27日 山本 孝史議員:遺児へ最後のメッセージ!①

2月28日 山本 孝史議員:遺児へ最後のメッセージ!②

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2008年2月28日 (木)

柳生家家訓

小才は、縁に出会って縁に気づかず。

中才は、縁に気づいて、縁を生かさず。

大才は、袖すり会うた縁をも生かす。

     柳生家家訓(江戸期の柳生藩主、将軍家剣術指南役)

最近、この言葉を思う。。。。

先日から、あしながファミリーの機関誌に記載されている山本孝史さん紹介していますが、この機関誌が縁で、がん患者会『シャローム』さんと知り合う事ができました。

がん患者会『シャローム』さんが、ブログに山本孝史先生の事などを紹介されていて、それをパソコンでたまたま見つけて、私が『シャローム』さんのところにおじゃましたのがきっかけとなり仲良くして頂いています。(見つけて、コメントを残すまで少し時間がかかっていますが。。。シャロームさん、ごめんなさい(*^_^*))

見るだけで何もしなかったら何もなく、縁をむだにするところだったと思う。

でも、こうして知り合えたこと本当に縁があったのだと思うのです。何かの見えない力で引き合わせてくださったのだと思う。

1月の最初に精神対話士けいちゃんの今年の目標でも記載しましたが、

人との出会い、縁を大切にしたいと改めて感じています。今年の目標の1つが達成したように思います。みなさまもどうか、仲良くよろしくお願いします。

あっ。。。私は、大才にはなれないから中才の少し上なれたらいいなぁ(*^_^*)

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山本 孝史議員:遺児へ最後のメッセージ!②

「命は政治の責任」

平成5年、14年前の衆議院議員で初当選させていただいて13年議員活動をさせて頂きました。救える命があるのに次々と失われている。そえは絶対に政治の責任だ、政治の出番があるはずだというのが、私がこれまでずっと活動してきた中での思い出です。

ですから、命に関わるような問題、臓器移植、年金や医療や介護、いろいろな問題をやってきました。

そして、一昨年の暮れ、どういうわけか私にがんが見つかりました。実は、いろいろと考え始めたのはそこからです。国会議員をやっていて、沢山の人が陳情に来られます。

肝臓病の人たち、腎臓病や心臓病の人たち、子どもさんが難病の人たち、しかし、一ぺんもがん病疾患の人たちと、私は会ったことがありませんでした。

何でだろうと思った時に、たぶん自分がそうなってみて思ったのだけれども、がんと闘わなければいけないということがひとつにあって、同時に社会的にどうして欲しいというところまでには時間的な心の余裕もないし、精神的にそんなことをやっているような時間はないのです。

だから正直思いました。何でここで僕ががんにならないといけないんだ、僕でなくったって、他のひとがいっぱいいるじゃないか。しかし、私に矢が立った。

っというか、山本、おまえだからこの仕事ができるんだと。あなたにがん患者の声がみんな託されているのですよと言われているような思いがしました。

何をしたいか優先順位づけをして下さい。優先順位の一番が実現できるように治療はしますと、どのお医者さんもおっしゃった。

私は、迷わず国会の仕事がしたい。去年の1月から今年の6月まで18ヶ月、何とか生きることが出来ませんか。今、国会議員としてやっている仕事を、1つの任期が終わるまで、この7月の終わりまで、何とか生かして欲しいとお願いしました。

お陰さまで、がん対策基本法も、自殺対策基本法も、2つの法律をつくって、2つとも国会で通すことができました。

あしなが育英会通信 NEWあしながファミリー 第99号 2008年2月号より

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2008年2月27日 (水)

山本 孝史議員:遺児へ最後のメッセージ!①

先日、NEWあしながファミリーという通信2008年2月1日(2月号)が送られてきた。山本 孝史議員の追悼特集が載っているのですが、その中に遺児達への最後のメッセージが載っていた。

これは、2007年夏 遺児へ最後のメッセージを送った時の講演で話された内容です。ブログで何回かに分けてご紹介したいと思います。国民ひとり一人の命を尊び、命を救い、命を守ることを、身を挺して活動して下さった。

一人でも多くの志ある人達の目に触れ、何かを感じとって頂きたいです。そして、自分のできることで行動に移していって欲しいです。

2007年夏 遺児へ最後のメッセージ
    バトンは君たちに渡す


07年7月7日、58歳の誕生日を迎えたその日、山本さんは酸素吸入器をつけながら、「つどいリーダー研修」中の遺児学生100人に、時折、咳をしながらも自身の遺児への期待を熱く語った。


  ちょっとこのごろ泣き虫になっている山本孝史です。昭和24年7月7日生まれ、今日は私の誕生日です。(会場で盛大な拍手)なんと58まで生きています。

私がまだ幼稚園に入る前の5歳のときに、小学校2年生の兄が家の前でトラックにひかれて亡くなりました。

私の実家があった大阪順慶町周辺は戦後、住宅街から様変わりし、当時、家の両隣は運送会社になっていました。

父は息子を亡くした不運を嘆き、危険と隣り合わせの場所に自宅を構えていた優柔不断さを責めていました。母は毎晩、仏壇に御詠歌をあげていました。

小さいころは、人が亡くなるということについて、それ以上に考える余地はありませんでした。

夭逝した兄の無念さや両親の悲しみが一気に胸に溢れたのは、『天国にいるおとうさま』という作文集を読んだ大学生のときです。

その中の一人、高橋さんという女の子は交通事故で父親を亡くしました。それは、警報機がついていない所での踏切り事故でした。そこは、非常に事故の多いのに改良もされず、また事故が起きてしまった。

こんなことがあっていいのだろうかというのが彼女の思いでした。私も全くそう思いました。

人間が、自分たちが、ちゃんとやれば失われずにすむ命が失われてしまう。生きられる命が突然だれかの力によって失われるということはどう考えても理不尽だ。兄はもっと生きることができたはずだと、私は思いました。

だから交通事故は減らせるはずだ。単に人が亡くなるだけではなくて、その家族が、そこからいろいろな思いを持って生きていかなければならない。

このことについて、世間はもっと目を向けてほしい。そういう思いで学生募金で10日間、梅田の花月の前で、「交通遺児にも進学の夢を」と街頭募金活動をやりました。大学の3年生の秋です。

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2008年2月25日 (月)

いのちをかけて、いのちを守る。山本たかし「余命半年からの人生。がんイコール、リタイアではない」

これは、昨年12月22日、ガンで亡くなられた参議院議員 山本 たかしの国会アクションから引用した手記です。

私は、学生の時、先生と出会い、同じ交通遺児の活動をさせて頂いたことを誇りに思います。

いのちをかけて、いのちを守る。
山本たかし
「余命半年からの人生。がんイコール、リタイアではない」

夫・山本たかしにがんが見つかってから1年半になろうとしています。「治療しなければ余命半年」の宣告を受けての闘病と国会議員としての活動の日々。その間、感じたことわかったことなどを夫が手記にしました。
一人でも多くの方に読んでいただき、山本たかしの「いのちのメッセージ」を受けとめていただけたら幸甚です。
2007年6月17日
山 本 ゆ き

がん患者としての日々、その想い
朝、目覚めると
「今日も、一日分の命をいただいた」と
思うようになりました。
健康な時と違って、パッとは起き上がれません。目を開けたり、眠りに戻ったり、しばらく行きつ戻りつしながら、頭と身体を眠りの世界から現実に呼び戻します。激しく咳き込むこともあります。胸腺から肺に散らばったがんのためです。一日に二回飲む痛み止めの薬を飲み、妻の作る人参&りんごのフレッシュジュースを飲んで、身体がようやく動き始めます。
「こんな身体でこれから先、国会の仕事ができるのか。でも、自分でなければできない仕事があるぞ」。こんな自問自答を繰り返しています。でも不思議なことに、今日の予定を確認して、「今日は、この仕事をしよう」と決めると、徐々に気力が出てくるのです。
僕のがん
僕のがんは最初、胸の真ん中の肋骨の後ろ側にある胸腺にできて、そこから肺と肝臓に転移しました。自覚症状がまったくないまま、一昨年末に見つかった時、すでにその状態でした。がんの進行度を表す「期」では第4期、その先がありませんので、世間では「末期がん」と呼ばれています。もっとも、4期であっても治らないわけではありません。また「末期」の時間は、いくらでも延びていきますので、「末期」という表現も正しくはありません。とは言いながらも、極めて厳しい状況から治療が始まりました。
治療法は、僕のように全身にがん細胞がまわっていると、手術も放射線治療も無理で抗がん剤しかありませんでした。効く抗がん剤、効かない抗がん剤があり、効いた抗がん剤でもしばらくすると、がんに耐性ができて使えなくなります。また、新しい抗がん剤や薬に挑戦することになります。だんだんと選択肢が少なくなり、細い道が、さらに細くなっていきます。
副作用は、使用する抗がん剤によって異なりますが、多かれ少なかれ出てきます。感染症を引き起こす原因となる白血球の減少、貧血、むかつき、倦怠感、手足のしびれ、便秘、脱毛と、一通り体験してきました。医師からは、それぞれの副作用に対処する薬をもらっています。抗がん剤によって副作用の出方が異なりますし、その副作用の程度も日によって違うので、副作用を抑える薬の量は自分でコントロールします。
抗がん剤治療を続けていると体調や気分に波があり、心も定まらず、何事においても決心したかと思うと迷いのどん底に落ちる、この繰り返しです。
がんが大きくなったためか、肝臓が肥大して肺や心臓を圧迫し、心拍数が130を超
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えたときもあります。そんな時は、数メートル歩いただけで息切れがします。血液中の酸素量が少ないときは、在宅酸素のお世話になります。

がんでも働き続ける、国会議員としての想い

がんだからこそ、僕だからこそ

がん発見時に、余命半年と宣告されましたが、治療のおかげで1年半生きてきました。単に病院のベッドで天井を見つめているだけの延命ではありません。
がんと共存しながら、今の僕だからこそ以前にもまして、命を守るための仕事ができる、僕にしかできない仕事があると思っています。そして、がん患者の国会議員として、がん対策基本法の成立を後押しし、協議会を傍聴し、国会質疑に臨んできました。新たに得た患者の視点を加えて、医療政策を検証し、社会に改善を訴えることもできたと思っています。
見えない力に導かれて「いのちを守る」

僕は、運命というものを感じます。国会議員になったのも、そして、命をないがしろにするような国の政策に歯止めをかけ、薬害や自殺などの予防対策を樹立するような仕事が自分の手元にまわってくるのも、何か見えない力で、「これは山本さん、あなたの仕事です」と言われているような気がします。
命を守るのは政治家の仕事です。救えるのに救えなかった命、助けられるのに助けられなかった命がいっぱいあります。交通事故、薬害、自殺、難病、十分に治療を受けられずにこの世を去ったがん患者たち。いずれも政治の出番です。
がん患者となったのも、しかも治療が難しい進行がん患者となったのも、僕に「いのちを守る」役割が与えられているからだと、今は思っています。

いろんな動きの接点


昨年の5月22日、僕はスクランブル交差点の真ん中に立っていました。がん患者の先輩たちや家族の活動、それに対する行政の動き、十分な治療が受けられなかったがん患者たちの無念の思いなどが交差する場所に、がん患者となった国会議員の僕がいました。
参議院本会議場で「自分もがん患者である」ことを公表し、がん対策基本法の早期成立を訴えました。「政治家が病気を告白するのは、政治生命の危機」と言われました
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が、僕にはそんなことは関係ありません。この機会を逃すと、がん対策基本法の成立はずっと遅れるという自分なりの見通しと、がん対策基本法の成立によって、がん医療や、さらには日本の医療水準が向上し、「救えるいのちは救うべき」と普段から思っていたことが実現すると思ったからに過ぎません。
そして、多くの方の熱意と行動が寄り集まって、がん対策基本法は異例のスピードで成立しました。やはりここでも、見えない力を感じます。
がん患者の視点
がん患者になって、初めて気がついたこと、感じたことを政策に結びつけてきました。がん対策の推進には、がん患者や家族などの当事者の視点が必要と感じ、がん対策基本法の成案を得るための与野党協議の場で、患者・家族等の代表も入った「がん対策推進協議会」の設置を提案しました。18人の委員で構成される協議会には、患者・家族等の代表として4人の委員が加わり、活発に意見を述べています。大きな成果でした。
1年半前のがん発見時と今とでは、がんの進行とともに、自分のなかで、モノの受け止め方も、感じ方も、政策立案時の視点も微妙に変わってきました。
今は、がんとか難病、障がい者、高齢者など、グループ化して政策を考えるのではなく、がんでも他の病気でも治らない患者、障がい者の方でも重複の障害を持っている人や重度の人、高齢者のなかでも虚弱で経済的にも困窮し、いちばん困っている人たちにこそ、政治の光が当たらなければならないと思うようになりました。
そして僕らが目指すべきは、「誰もが人間らしく生き、普通に暮らすことのできる社会」だと明確に示すことができるようになりました。
がん患者イコール、リタイアではない
身体が辛いときは、「もう無理をしなくてもいいじゃないか」という声が聞こえて、リタイアしたいと思うこともあります。しかし、当事者が動かねば行政は全く動かないことを、大学3年の時、「大阪交通遺児を励ます会」を結成し、それからの25年間かかわった交通遺児母子家庭への支援運動で痛感しています。
当事者自身の訴える力に勝るものはありません。病を抱えた当事者が、病気と闘いながら理不尽な行政とも闘わなければならないのは、政治の怠慢以外のなにものでもありません。
そんな政治状況を生み出している国会議員の一人として責任を感じますが、やはり「政治を動かすのは、市民や社会の力」だというのも真理です。
だから僕は、まだまだリタイアできません。がん患者当事者として、国会のなかで、また国会のなかから外に向かって訴える力をもっています。今後とも、がん対策基本法が、がん医療の質的向上のみならず、医療全体のあり方を見直し、さらには、社会
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の片隅に押しやられじっと耐えている人々を救うことにつながっていくのかどうか、注視していかなければなりません。またそうした方向に導いていかなければならないと思っています。その役目をしっかりと果たさなければ、がん患者の先輩たちに、彼岸へ行ってから叱られそうな気がします。
自殺も減らせる
8年連続で3万人を超えている自殺者も、救えるはずの命です。これまで政府は、自殺予防をうつ病対策として行なってきました。しかし、自死遺児の支援を行っているあしなが育英会の玉井義臣会長から、「自殺を個人的問題としている間は、自殺者は減らない。社会問題として捉えなければならない」と教わりました。党内での勉強会を重ね、自殺予防に取り組む市民団体とも連携しながら、「自殺対策基本法」に取り組みました。
昨年の5月22日の参院本会議で、がん対策基本法と同時に自殺対策基本法の成立も訴え、成立にこぎつけました。4年がかりの仕事が結実し、内閣府に自殺対策の専門部局が新設されました。「自殺総合対策大綱」もまとまり、年間3万人を越える自殺者を今後10年間に20%以上少なくすることを目標に、各種の対策が動き始めました。社会全体で命を守る輪が、またひとつ広がりました。
自分ががん患者になったことで、「救える命を救おう」「誰もが人間らしく生き、普通に暮らせる社会にしよう」との訴えに重みが増したことは確かです。
民主主義を守りたい
もう一つ、僕は民主主義を守りたいと心から思っています。命を守るためです。お国のためにといって命を散らさねばならない状況を再び作り出してはなりません。今の、数の力で突き進む政治や歴史を語り継ぐことを軽視する社会を見ていると、戦後60年以上を経た日本に民主主義は育たなかったと思わざるをえません。
利他主義の薄さが、日本社会での民間活動の弱さにもつながっています。絶望感が強くなります。でも、何かやらないと、何も動かないことも事実です。
民主主義を守ること――これも僕に課せられた仕事です。
いのちを見つめ、大切にする「いのちの政策」。
それを、やれるところまで、やります。
僕は、与えられた命を生き抜きます。
抗がん剤治療で生み出された時間を何に使うのか。残された人生の貴重な1ページ、
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1ページに何を書き込むのか。日本のお粗末ながん医療の向上のために、命を投げ打ってギリギリまで闘って亡くなった先輩患者に見習って、自分もやらねばと奮起してきました。がん対策のみならず、これまで続けてきた「いのちの政策」をさらに展開しようと、精一杯に取り組んできました。ステージ4のがん患者としては働き過ぎて、最近、体力が落ちてきました。
健康であったらと悔しく思うことも度々ですが、がんにならなければ、いまのような仕事ぶりも、生活もありません。治療を続けていますし、少しずつ体力を回復し、良くなることを信じて日々生活しています。
「進行がん患者でもできることはたくさんある」、「いい仕事がいっぱいできる」というメッセージを、進行がん患者や難病患者、障がい者、虚弱な高齢者など、国の政策や社会から「役に立たない。お荷物だ」と見なされがちな人たちに代わって、社会に届けたいと思っています
「先生は希望の星です」と言ってくださる患者さんがおられると、自分から国会議員の仕事をやめることはできません。やれるところまでやろうと思います。いのちを見つめ、いのちを大切にするという仕事は僕に与えられた使命です。天命なのでしょう。それを自分から捨てることはできません。
僕は、自らの人生を生き抜きます。

2007年6月15日記

孝史へ、山本ゆき
友人が私に言いました。
「胸に病を抱える人は、胸に悲しみを長く抱えてきた人だ」と。
悲しみでぽっかり空いた胸の空洞に、がんが宿ったということなのでしょうか。孝史の胸の真ん中の胸腺に宿ったがんは、7歳でトラックに命を奪われた兄の無念さ、交通遺児母子家庭の支援活動やあしなが活動で出会った多くの子どもたちと母親の悲しみと苦悩、国会内で先頭に立って真相解明に取り組んだ、薬害エイズの被害者の悔しさの塊なのでしょうか。
国に裏切られ、医師に人間扱いされなかった薬害エイズ事件の被害者たちの苦しみ、絶望を思い、絶対に許せないと、膨大な資料を読み込んでいましたね。そして、まだ「未公開ファイル」があることや、加熱製剤の発売後も非加熱製剤が販売されていたことをも突き止めました。この薬害エイズから孝史の国会での「いのちの政策」が始まりましたね。
13年間の国会活動で取り組んだのは、年金、医療、介護の社会保障制度をメインに、臓器移植、自殺対策、難病対策、被爆者支援、障がい者支援、中国残留孤児支援、ホームレス対策、交通事故問題、そしてがん対策などいのちを守る政策でした。一昨
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年の12月にがんが見つかってから1年半、抗がん剤治療を受けながら、時には健康な時以上に、国会で仕事をしていましたね。「命を削る」とは、このことかと何度はらはらしたことでしょう。孝史の訴えが実って、がん対策基本法も制定され、国のがん対策も少しずつ前進していくように思えます。
国が、がん対策に向け動き始めたのはいいのですが、自分の身体をあまり顧みなかった孝史にとうとう「ドクターストップ」がかかりました。
5月下旬の治療日。体力消耗が激しく、主治医に「危機的状況」と言われ、もう抗がん剤の治療はできないと通告されました。それを機に、やっとあなたは自分の身体を思いやり、自分のいのちを見つめるようになりましたね。
それでも、6月12日に、厚生労働委員会で質問に立ちました。疼痛緩和のための医療用麻薬メサドンの早期承認を求め、厚労省から積極的に取り組むとの回答を得ました。今、使われているモルヒネなどの十分の一の値段で、海外では広く使われている薬です。これが承認されたら、痛み止め薬の選択肢が増えて、喜ぶ患者さんがたくさんおられるでしょう。痛みさえコントロールできたら、普通の生活が送れるがん患者さんはたくさんいます。本当にいい仕事をしましたね。
「年金の山本」の存在を示した、年金記録消失問題に関する質問では「わかりやすくて聞き入ってしまった」と、委員会室で写真を撮っていた記者さん。その話を聞いて、「そういうことばの一つひとつが励ましになるよ」と孝史は嬉しそうでした。
でも、今は、体力を回復させる――それ以上の仕事はありません。
「時間がない、今やらねばもうできなくなる」との思いに駆り立てられていたような日々。自分の人生を完結させようとしていたようにも思えます。孝史の人生はまだまだ進行形です。いのちのバトンも持ったままです。渡す相手もまだ見つかっていません。ちょっと動くと心臓がバグバグ鼓動して苦しそうだけれど、酸素吸入だってあるし、抗がん剤の副作用にも悩まされるけれど、孝史は元気です。
孝史の願い――「僕は、治らないと医者から言われたけれど、治りたい。生きたい。生きて仕事がしたい。標準治療のあとは緩和ケアだけの日本のがん医療を変えていきたい」
孝史とえにし(縁)を結んだ人たちが、孝史の想いに共感し活動してくれています。あなたのメッセージを全国の人たちに伝える手伝いをしてくれています。もう、一人で頑張ろうとしないでください。私にも長く伴走させてくださいね。
2007年6月15日記
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2008年2月24日 (日)

喪失体験をバネにするのって変ですか?

入所者の90年過ぎまで人生を過ごした人達と話していて、色々の事を教えて頂きながら自分自身の考え方が正しいのか?世間からみて間違っているのか?と判断基準にすることがある。

また、著名人の書かれた本を読んだり、自分の周りの先生と色々の考え方について聴いたり、自分自身の考えを聴いてもらい、判断を仰ぐことがある。。。

あるブログに次のように述べている人がある。

>「痛みや悲しみをバネにするような生き方は好きではありません。いつか誰かに分かってもらえるとかいつか乗り越えてみせるとかそれを自分のバネにするとか…とても悲しい響きを感じます。」

そうかなぁ?私は、勇気とか元気が湧いてきて、わくわくするんです。。。

みんなは、どう思うのだろう。。。教えてほしいです。

入所者に話すと、バネにすることは大切だし素晴らしいことと言われます。

悲しいことがあって、いつまでも、その過去の栄光・・・というか、その悲しい事が起きる前の事ばかり想って、いつまでも悲しんでいるより、悲しい事は悲しいので、思いっきり泣いて、そこからもがき苦しみながらも、前向きに生きることが大切だと学生時代にあしながおじさんの活動から学んだ。

私の場合は、高校1年で交通事故(ひき逃げ事故)で父を喪う交通遺児であったが、いつまでも父がいないことに悲しんで、父が生きていた時のことばかり考えていたら、死んだ父が悲しむと思った。自分が悲しんだら母はもっと悲しいだろうと思った。父の死をバネにして、今度は、自分と同じ境遇の交通遺児や災害遺児や弱者のために何かしなくては。。。と思った。 そうすることで、亡き父は喜ぶと思ったし、母も喜んでくれていると思う。また、あしながおじさんや故山本孝史先生も喜んでくださると信じる。もし、バネにしないで、いつまでも自分だけが可哀想とか思っているなら、それは可哀想なことだ。 世の中には、自分より辛い喪失体験をしている人がたくさんjいる。それを知るべきであり、そして、たくさんの周りの方達の支えがあって自分がある事を感謝する気持ちを忘れないことが大切です。次に、多くの人に感謝しているならば、言葉を、自分のできることで、感謝を行動で表すことが大切に感じる。 財団法人 メンタルケア協会は、「対話を通して生きる希望と勇気を持っていただくこと」を目的にして、心のケアの専門職「精神対話士」を養成して、派遣を行う業務を行っています。 喪失体験をバネにして乗り越えて行ってほしい願いが込められているのだとおもう。

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今夜、がん患者の番組があります。

今夜、夜9時からNHKスペシャルでガン患者の番組があります。

皆様、時間があられる方はご覧ください。

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2008年2月22日 (金)

あしながファミリーの機関誌

福岡から帰って見ると、封筒がポストに入っていた。。。

中には、あしながファミリーの機関誌だった。

山本 孝史議員の奥様 山本 ゆきさんからNEWあしながファミリーという通信2008年2月1日(2月号)が送られてきた。

機関誌には、昨年12月22日にがんで他界された山本孝史先生の追悼特集が載っていた。

Dscn2078

昨日、たまたま、テレビをつけると、テレビ朝日の報道ステーションがやっていて、つけてすぐ、山本孝史先生がテレビに流れた。「あっ・・・」涙かあふれ出た。。。

なんだろう。。。。縁を感じてしまう。。。あしなが育英会の先生に手紙を出してみよう。。。先生たちは、私が今、福祉の仕事をしている事は誰も知らない。また、精神対話士の資格を取得して、震災児の心のケアに取り組んだりしていることも。。。。

写真は、機関誌に載っていた、詩を載せてみました。これは、10歳でお父さんを交通事故で亡くした子どもが書いた詩。。。。この詩がきっかけとなり、交通遺児の運動が世の中に広まった。この詩は、ブログを読んでくださっているみなさんの心にも響いてくれるのだろうか?

          天国にいるお父様

                      中島 穣(10歳)

ぼくの大すきだった おとうさま

ぼくとキャッチボールをしたが

死んでしまった おとうさま

ぼくは

おとうさまのしゃしんを見ると

ときどきなく事もある

だけど

もう一度あいたい おとうさま

おとうさまと呼びたい

けれど呼べない

どこにいるの おとうさま

もう一度ぼくをだいて おとうさま

ぼくがいくまで まってて

もう一度ぼくと遊んで おとうさま

おとうさま ぼくといっしょに勉強してよ

ぼくにおしえてよ

おとうさま どうして三人おいて死んだの

ぼくは

今までしっちょうしていると思っていた

おとうさま まってて ぼくが行くまで

おとうさま おとうさま

もう一度「みのる」って呼んで

ぼくもおとうさまと呼ぶから

ぼく「はい」と返事をするよ

ぼくは かなしい

おとうさまがいないと

                  

山本孝史先生(2006年5月22日参議院本会議にてがんを告白、癌対策基本法を訴える。)

        山本先生の手記  

いのちをかけて、いのちを守る。
~余命半年からの人生。がんイコール、リタイアではない~

                        山本 た か し 

             参議院議員 山本 たかしの国会アクションより

私も、微力ながら山本 先生の精神を受け継いで世の中の弱者の為に何かできることをしていきたいです。

たぶん、私が精神対話士の資格を取得したり、介護老人保健施設に勤めているのも学生時代に交通遺児の活動に取り組み、あしながおじさんの無償の愛を受けてきたからだと思う。

                             

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2008年2月20日 (水)

福岡心の旅(^o^)

福岡に行ってきました。

まず、16日

昼頃に先輩の行きつけのラーメン屋に行き、先輩と九州国立博物館のある太宰府へいきました。

Dscn1958 正面が天満宮へ続く。。。

周りはお店がたくさん。

民芸品や梅が枝餅のお店がたくさんあります。

Dscn1963 ここで、先輩のお母様から頼まれた梅が枝餅を買いました。

もちろん、私達も試食しましたsmile

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民芸品のお店も見て回りました。。。

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次は、天満宮へ

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Dscn1973 土曜という事もあり人がたくさんでした。

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梅が綺麗でした。。。

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有名な飛梅です(^o^)

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実は、今年に初めてのお参りでした(^o^)

クジを引きました。

結果は、見ての通り。。。

”中吉”です。

一番好きなクジです♪

大吉は、どちらかと言うと嫌なんです。というのは、大吉は、一番頂点でしょう。

ということは、後は下るだけでしょう。。。中吉は、登り坂でしょう♪だから、中吉が好きなんです♪

さあ、いよいよ国立博物館と思いや。。。。

Dscn1992 おサルさんがいました(^o^)ちょっと寄り道。。。。

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Dscn1995 すすごい!上手に輪をくぐってますhappy01

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天満宮の所から博物館に行けるようになってました。
たぶん、3年前はこの通路はできてなかったと思う。
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長~い通路を通り抜けて
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九州国立博物館です。。。
中では、写真撮影はできません。博物館には、15時に入り最終までいました。
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帰りは、京都の西陣織のネクタイを1本買いました。自分へのお土産です♪
さあ、今度は先輩のご両親と夕食会に行きます。約束時間は19時です。時間があるので、またまた、梅が枝餅を買って最初のと味比べです♪ここは、行列ができる梅が枝餅でした。Dscn2005 Dscn2008
食べた感想は、美味しいです。模様がついてます。
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夜は、先輩のご両親と5人懐石料理をご馳走になりました(^o^)
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節分にちなんで・・・嬉しいおもてなし(^o^)
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刺身も活きがいい!
コリコリしてました(^o^)
Dscn2015 この中には・・・忘れたm(_ _)m
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待ってました。ステーキです。
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Dscn2026 シュウマイです。もちろん中には手の込んだものが入っていました。
Dscn2027 ご飯とおみそ汁、漬け物、お魚・・・サワラかな?
デザートを撮るの忘れちゃいましたm(_ _)mDscn2030
次の日は、福岡空港へ・・・たまたまです。。。
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凄い迫力でした。
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次は、昼ご飯です。。。博多と言えば、とんこつでしょう!
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私が食べたラーメン。スープはこってり。
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先輩が食べたラーメン。
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もちろん、替え玉もしました(*^_^*)
そして、先輩と別れて私は友達で画家の前田 美誉子先生のアトリエにいきました。。。。
海外で色々の賞をとられています。
アトリエには、ところ狭しと色々の不思議なものがたくさん。。。メルヘンの世界です。。。
そして、次の日は、一人で博多デパート巡り。。。
午後から、精神対話士の選考試験の時、面接試験官だった、某大学病院の副看護部長に会いに行きました。。。石川での昨年の活動のこと・・・今の職場でのお年寄りに対する接し方など話しました。また、色々のことを短い時間でしたが教えて頂きました(*^_^*)それでも、30分以上時間を取って話をしてくださいました。ありがとうございます(^o^)
本当に嬉しかったです。これを縁にこれからも交流ができていったら嬉しいです。
楽しい旅となりました。

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2008年2月16日 (土)

お雛飾り(^o^)

私の勤めているしせつでは、お雛飾りがもうされています。

綺麗でしたので載せます。

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これは、玄関ホール前に飾られていて、来客、面会家族、もちろん入所の皆様もここを通るたびに足を止めて見入っておられます。

次に、入所のお年寄りの人達が書いたものです。上手でしょう(^o^)

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次の写真は、ある入所者の家族の方が、おばあちゃんの88歳のお誕生日に送ったバラの花です88本です。綺麗でしょう(*^_^*)

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さあ、今から福岡に行ってきます♪

用意しながらブログ書いてます。。。。

月曜日が楽しみなんです♪。。。精神対話士の面接試験の時の某大学病院副看護部長に2年ぶりにお会いできるから。お土産はないので、精神対話士になってからの話のお土産をもっていきます。

楽しい思い出に残る心の旅になりますように。(*^_^*)

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2008年2月15日 (金)

『藤村随筆集』~身のまわりのこと~

ずっと年をとってからの日のために、

雪が降ったから茶でも飲みにお出下さいと言えるような、

そう言う老後の友達を三、四人作って置きたい、

男でも女でもいいからそういう友達を三、四人ほしい、

それにはお婆さんに成ってしまってからでは遅い。

今からそれを心がけて置きたい。

その通り、孤独な人生を送らないために大切なことのように思った。言われたら、その通りと思う。中には、「自分は大丈夫」と言う人もいるでしょう。でも、昔の偉い人がいうくらいだから、年をとってから友達がいない人が多いのかもしれないし、年をとってからは友達もできにくいのかもしれない。

そうならない為にも今のうちから人との縁を大切にしていかなくてはいけない。全ては時がたってからわかるのかもしれない。

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2008年2月13日 (水)

福岡へ行ってきます~心の旅~

この土曜日、日曜日、月曜日に久しぶりに福岡へ行って来ます。

16日(土)は、九州国立博物館に行きます。

Dscn1952 今、九州国立博物館では、

足利義満六百年御忌記念

京都五山・「禅の文化展」

が開催されており職場の福岡実家の先輩と行ってきます。

五山とは

五山之上南禅寺

第一位天龍寺

第二位相国寺

第三位建仁寺

第四位東福寺

第五位万寿寺

次の日は、洋画家 前田 美誉子先生に絵を教えて頂きます。

18日は、これが一番嬉しいのですが、2年前、メンタルケアの実践課程の時の講師の先生で、精神対話士の選考試験の時、個人面接試験の試験官だった、某大学病院副看護部長とお会いできることです♪

実は、先週に思いつきました。。。。そして、病院に電話。。。勿論、副看護部長は、私の事は覚えておられません。。。2年前のことですし・・・面接もたくさんの人をされているわけですし・・・いちいち覚えておられるわけがないし・・・突然会って頂けるとも・・・駄目もとで電話しました。。。。

その時は、先生は会議中であまり話せませんでしたので、精神対話士の個人面接で副看護部長が私の面接官だったこと。そして、精神対話士に合格できたこと。福岡に行くので先生にお会いしたい旨の事を伝えました。

そして、再度今日電話をする約束をしていましたので、看護副部長に電話しました。。。

18日は、普通に勤務で、会議とか予定はないので会えるとの事でした♪

今日は電話で、15分位話しができ、福岡天神からの病院の行き方も(調べてくださっていたのでしょう♪)教えてくださいました(^o^)

個人面接の時、先生から言われたこと

個人面接の際に、面接官の某大学病院 副看護部長から、「あなたは、すでに精神対話を今の職場で実践されているのですね・・・あなたと面接していて、凄くここち良い気持ちになりました。」と面接試験の途中でそう言われた事は大きな自信になりました。

すごく、お会いし、お話できるのが楽しみです。

また、人とのつながりができるきっかけとなります♪

私は思うのです。人生において人を知ることは財産だと。人とのつながり、縁は大切にして行きたいです。今年の目標の一つでもあります。これをきっかけに、一つの”心の旅”が始まろうとしています。楽しみです♪

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2008年2月10日 (日)

精神対話士認定式・北海道会場~毎日新聞より~

先月27日に北海道会場で精神対話士の認定式が行われたようです。認定式を新聞やテレビで報道されるのはなかなかないと思いますのでブログにそのまま載せました(^o^)

精神対話士:資格試験に札幌の姉妹がそろって合格

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精神科医や介護施設などからの要請を受け、財団法人「メンタルケア協会」(東京都)が派遣する専門職「精神対話士」の資格試験に、札幌市内の会社員、影山晴子さん(36)と妹知子さん(32)がそろって合格し、27日に資格証が交付された。会社に勤務する傍ら、終業後や休日を活動にあてる。姉妹は「孤独感やストレスに悩む人たちが前向きに生きるお手伝いをしたい」と張り切っている。

 05年8月、影山さん姉妹の母が肺炎のため67歳で亡くなった。「母は入院中、仲の良い友達が見舞いに来る日を楽しみにしていた。人と会って話すことで患者は勇気付けられる」。三回忌が迫った昨年夏、晴子さんは地下鉄の車内広告で目にした「精神対話士」の講習会に興味を持ち、早速受講を申し込んだ。

 姉から講習会の情報を聞いた知子さんは母の死後、話を聞いてくれた親友のお陰で、悲しみから抜け出せた体験を思い出した。「自分の体験を悩んでいる人のために生かしたい」と受講を決めた。

 精神対話士の資格は、メンタルケア協会が主催する講習会を計8日間受講し、2本のレポートと2回の面接試験の総合評価で合否が決まる。昨年の道内受講者50人のうち合格者は8人という狭き門だったが、妹は互いに励まし、競い合いながら、難関をパスした。晴子さんは「家族と離れて施設で暮らす高齢者や、いじめに悩む青少年たちに会って、話を聞いていきたい」と話す。【鈴木勝一】

2008年1月28日

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体調不慮・・・m(_ _)m~鎌田先生ありがとう(^_^;)

今日は、雪はないのですが・・・さ・・・寒い

なんか、先ほどから体がだるいm(_ _)m

熱をはかると・・・37度4分

今日は、夜は鎌田先生と出かける予定だったのに。。。。

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ここのキムチは美味しい(^o^)

手作りで、全国に発送されている。以前、テレビに出て大変忙しくなり・・・困ったそうです。旦那様一人が作られているから間に合わなくなるのです。。。

楽しみにしていたのに・・・家にいることにしました。

先ほど鎌田先生にお電話しますと、「けいちゃん残念だけど、今日lは家で寝ときんさい。今から家にある食べ物を持って行ってあげるけん。」と。。。。

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お寿司と中華丼を持ってきてくださいました。。

先生、本当にありがとうございます。

本は、関係ありません(*^_^*)

私が古本屋さんで買ったものです(*^_^*)

先生は私に、「けいちゃん、いつまでも元気でおってくれよ。けいちゃんが、おらんようになったら寂しいけん。わしのメンタルケアをしてくれようる。。。」と嬉しいことを言われます。私にとっても鎌田先生は大切な先生でして、私の父のような存在なんです。

鎌田先生は、今は施設苑長。元国立広島病院院長(現 東広島医療センター)で全国国立病院会長をされた方です。そのような先生と毎日のように心の話をし食事を共にしいつも一緒にいて可愛がってもらえる人がどこにあろうか。ありがたいことです。全てに感謝。出会いに感謝。

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言句集 穏やかに そして また 穏やかに わが友よ より

苦しみに耐えるには  泣くか 叫ぶか

黙って耐えるか 三つある

その中で 黙って耐えるのが

一番つらい 

我が友よ 泣いて さわいで

癌とたたかえ

言句集 穏やかに そして また 穏やかに

                    平塩 清種 著

癌に病み、今まさに逝かんとする友の痩せた手をにぎり、言葉もなく、ただ茫然と涙する私に、”俺は死なない、君は俺がいないと何もできない男、君のことが心配だから俺は死なない、だから泣かないでくれ”。死に臨み、死の恐怖と闘いながらも私を気づかうわが友の姿は、もはや人間ではなく神様。

私は彼に、これほどの友情をかけてもらえるに値する人間かどうか。

しとしとと煙雨ただよう五月の終わり、

静かにそっと彼は散っていった。

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2008年2月 9日 (土)

MIE (ピンクレディー) "NEVER"

今日は、元気の出る勇気の湧く歌です。詩が好きです。

逆境に立ち向かっていく所がすき。。。曲を聴いているとなんか、わくわくしてしまいます。。。

傷つき壊れた時が、強くなるチャンスだから・・・心をとださないで・・・♪」

"NEVER" は不良少女とよばれてのテレビ主題歌。

"NEVER"をクリックすると曲が流れます。

カラオケでも時々歌います♪

世の中には、色々なことで悩み苦しんで生活されている人がたくさんあります。でも、負けないで挫けないでほしいです。自分だけだ不幸だとか思わないで、もし不幸ならば、それを乗り越える強さを持ちたいです。

一人で乗り越えるのが難しいなら、周りの人の協力をもらってでも良いのです。一人で悩まないことです。そのために精神対話士という資格ができたのです。

不良少女とよばれて1984年4月17日~9月25日にTBS系列で放送された大映テレビ製作のテレビドラマ。原作は舞楽者である原笙子の自伝的小説。

ストーリー

曽我笙子は、母親の「あなたさえ生まれていなければ…」という言葉から非行に走る。ひとりの青年の愛により、更生していく。

出演
伊藤麻衣子、国広富之、岡田奈々、山本學、小林哲子、高橋昌也、岩本多代、松村雄基、比企理恵、中条静夫、三ツ矢歌子、宮崎達也、山田邦子、新育生、荒川亮、かとうゆかり、玉岡加奈子、坂上亜樹、名古屋章

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2008年2月 6日 (水)

「春よ、来い」 松任谷由実

今日は、午後から精神科病院のデイケアでの仕事でした。今日は、外出プログラムで、メンバーさん達とスタッフとでカラオケボックスに行きました。(私は、介護老人保健施設に勤務していますが、ここは精神病院も経営されており、精神科デイケアにも毎週1回は入っているのです。統合失調症のメンバーさんもおられます。老人とは違いますが、色々と勉強させて頂いています。

私もメンバーの方と混じって一緒に歌いました。いつもメンバーさんへのメッセージというか想いも込めて歌を選んで歌っています。

もちろん、私自身も好きな詩だから歌うのです。

そんな中、本日わたしが歌った歌の一つです。

春よ、来い」 松任谷由実

淡き光たつ にわか雨
いとし面影の 沈丁花
あふるる涙の つぼみから
ひとつ ひとつ 香りはじめる
それは それは 空をこえて
やがて やがて 迎えに来る
春よ 遠き春よ
まぶた閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする

  君にあずけし わが心は
   今でも返事を 待っています
   どれほど月日が 流れても
   ずっと ずっと 待っています
   それは それは 明日をこえて
   いつか いつか きっととどく
   春よ まだ見ぬ春
  迷い立ち止まるとき
   夢をくれし君の
  まなざしが肩をだく

夢よ 浅き夢よ
わたしはここにいます
君をおもいながら
ひとり歩いています
流るる雨のごとく
流るる花のごとく
*
   春よ 遠き春よ
   まぶた閉じればそこに
   愛をくれし君の
  なつかしき声がする
  春よ まだ見ぬ春
  迷い立ち止まるとき
  夢をくれし君の
  まなざしが肩をだく

歌は、想いとか気持ちを表現するのに良いと思います。

私は、歌でもメンタルケアができると思います。

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2008年2月 3日 (日)

精神対話士について

最近、私のブログをご覧になられる人の検索で精神対話士で検索して、入ってこられる人が沢山あります。今年も、全国8会場位で(財)メンタルケア協会主催のメンタルケアのスペシャリスト養成講座が行われます。たくさんの人が精神対話士というものに興味をもたれているのかと思いました。

今日は、精神対話士について書きます。ここでは、なぜ精神対話士を取ったかを記載します。

私は、現在 介護老人保健施設に勤めています。前職は、公務員・・・福祉分野は初めての仕事・・・以前の医療・福祉のイメージは、「人の心の痛みの分かる、キリストやお釈迦様のような大らかな情の深い、人の痛みを自分のエネルギーに変え共に泣き、共に笑いのできるような人達」と思っていました。それと、何らかの喪失体験を経験したりしている人が多いと・・・。勤めて思うのは、そんな人は少ないのかなぁ・・・サラリーマン化している様に感じました。資格試験で、詰め込みの試験の為の勉強で、確かに実習とかあるのでしょうが、資格を習得しようとする人の人間性(人格)やどれだけの喪失体験をしてきているか等は全く関係が無いのです。施設に勤めて、その事を知りました。

私は、福祉の学校に進学した訳でも無く、5年前に1年夜間の精神保健福祉士(PSW)の養成学校に行きます。でも、試験は、まだ合格していません。

施設では、リハビリの助手として働いています。私は、施設に勤め始めた当初から、入所者との対話は大事にしてきました。手や足をさすってあげると大変喜ばれます。これが正しいか間違いかどうかは分かりません。学校でも施設でも学んでいません。

リハビリの作業療法士の人達の仕事を4年間みて思うのは、前の公務員の仕事がら見たら ここは行き当たりばったりに見えます。例えば、リハビリ室に入所者が来たら、ホットパックしたり、平行棒を歩かせたりします。長く訓練室にいる人もいれば、そうでない人もいる・・・毎日来る人もいれば、そうでない人・・・全く月に1回も関わって無い入所者もいます。介護老人保健施設は、社会復帰を理念としていますが、4年で社会復帰した人は片手の人数もあるかないか・・・そして、死ぬ人が多い現実・・・・(勿論、亡くなる前に病院に運ばれてです)

集団療法で風船バレーやその他、カラオケなどを集団で何か行う事が多いですが、例えば、風船バレーを行った、個々の表情や個々の風船バレーやカラオケをする前、後の違いとか・・・そんなのはしてないし、ただ、風船バレーに参加。カラオケに参加で終わるのです。これは、集団療法で可算を取る為に行います。作業療法士がする時もありますが助手の私が行います。作業療法士が風船バレーをするのも私がするのも同じです。点数になるかならないかの違いはあります。ですから、記録は・・・の名前で行います。

そんなモヤモヤしてる中で精神対話士の事を新聞で知りました。 精神対話士は、メンタルケア協会が認定する資格です。メンタルケア協会は、慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立した民間団体です。(昨年文部科学大臣より財団法人設立の許可をいただかれ、 財団法人 メンタルケア協会 になりました。)

メンタルケアのスペシャリストとして平成5年にスタート。治療が目的ではなく、何らかの原因で孤独感や喪失感に苦しんでいる人を訪問し、対話を通じて本人の生きる気力の充実を支援していきます。

そして、受講して驚いたのは 講師の人達の顔ぶれでした野球で表現しますとオールスター選手や日本代表選手・・・それ位のそうそうたる講師陣でした。

講義を受講して分かって来たのは、「私の日々、入所者との対話や行っている事は決して間違いでない・・・大切な事だと」そして、個人面接の際に、面接官の某大学病院 看護副部長から、「あなたは、すでに精神対話を今の職場で実践されているのですね・・・あなたと面接していて、凄くここち良い気持ちになりました。」と面接試験の途中でそう言われた事は大きな自信になりました。これは余談ですが、試験を終えて、面接官からその様に言われた事を、鎌田 達先生洋画家前田 美誉子先生に伝えると、自分の事のように大変喜んでくださり、「面接試験の時にそのように言われる事は珍しいし、凄いよ!」と・・・。結果的には精神対話士になることができました。その時は、受講130人位で11人の合格でした。受講されてたのは、主婦、会社員、看護師、学校の先生、ワーカー、心理士、その他・・・。様々の人でした。

仕事をしながら想うのは、余命短い入所者が、私と縁あって出会い、会話することで少しでも、「この子と出会えて良かった、話ができて良かった・・・何か元気がでた・・・」といった事を感じてもらえたら嬉しいのと、私も、入所者から多くの事を教えて頂いていて、明日につながるエネルギーの源(元気)を頂いていると思うのです。

財団法人 メンタルケア協会 のホームページ

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2008年2月 2日 (土)

第98 回メンタルケア・スペシャリスト養成講座(福岡会場)平成20 年3 月開講

今日は、精神対話士になるためのメンタルケアのスペシャリスト養成講座(福岡会場)のご案内です。

福岡会場は、昨年は、行われませんでしたので2年ぶりの開催です。

精神対話士になるためには、下記の講座(基礎・実践)に合格し、集団面接と個人面接の試験に合格しなくてはいけません。

第98 回メンタルケア・スペシャリスト養成講座(福岡会場)平成20 年3 月開講

基礎課程日程:平成20 年 3/2(日),16(日),20(木・祝),23(日),30(日) 5 日間(15 講座)
時 間:午前 10:00~午後 4:45

実践課程日程:平成20 年 5/18(日),25(日),6/8(日) 3 日間(7 講座)
時 間:午前 10:00~午後 4:45

(但し3 日間のうち1 日については午後1:00~2:15)

会 場:九州産業大学 (福岡市東区松香台 2-3-1)
JR鹿児島本線『九産大前』駅
西鉄バス 天神バスセンターより『産業大学南口』
お 振 込 先 :(基礎課程受講料 13 万円)
三菱東京UFJ銀行 表参道支店 普通 2105026 財団法人メンタルケア協会
定員になり次第締め切らせていただきます
※ 日程、会場などについては、都合により一部変更となることがあります

詳しいお問い合わせ先

(財)メンタルケア協会

〒107-0061

東京都港区北青山2-11-10 青山野末ビル102

TEL.03-3405-7270(代)

                                                 

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入所者の死

今日、ある入所者だった人が亡くなられたと知らせがあった。私は、今日は午前中勤務であった。

先月、22日に退所となり、30日に再入所、31日に再退所・・・・本日、亡くなられたとのこと。。。。年齢は90歳を超えていた。。。

22日、朝、私が勤務して、いつものように、リハビリ室に掃除に行くと、この入所者のベットがホールに出ていて横になっていたので、様子を見に行って対話をする。

22日の対話より:がベットサイドに行き手をさすってあげると笑顔で喜んでいる。「どうなったんか良くわからん・・・元気になりたい・・・」と言われる。私が、「私を見たら元気になるよ。」と言うと満面の笑顔を見せ応えてくれる。「ありがとう・・・ありがとう・・・」と私に何度も手を合わせていた。

施設に帰られた日の夕方、ステイション前のソファーでいつものように居られたので、私は横に座り手をさすりながら、「お帰り・・・元気になった?」と聴くと笑顔で、「うん」と言いながら私の手に力を加えてくれた。。。。

次の日に、退所となる。。。。すると、不思議な事が起きた。。。。ある入所者が、私の所に来て、退所したAさんが、そこで呼びようる・・・そこに居る。。。。言いながら私に、その人の所に連れていけと言われるのです。。。そして、「待っといてよ。今、行くけん」と天井を見ながら言われるのです。

そして、今日はAさんと仲が良かったBさんが何を思ったか自分から施設の中を何周も車椅子を押して歩く訓練?をしているのです。。日頃、スタッフがいくら訓練室に誘導しようとしても、ソファーから動かない人が、何を思ったか自分から歩いているのでリハビリスタッフは驚いた。。。。その光景を見る少し前に私達は、「A入所者が今朝亡くなった」知らせを聴いたのである。

むしの知らせだったのだろうか・・・・

Aさんは、私の心の中で生きている、今も笑顔を私に見せてくれている。

余命短いお年寄りが多い。。。。どれだけ、心のケアがメンタルケアが、死が近い人達にとって大切であり、その人達を元気にするか・・・そして、心のより所となっているか良く分かる。お年寄りにとっては、精神対話士とかそんなのはわからない・・・でも、心のケアをして欲しいと、死が近い自分たちに寄り添って少しでも寂しい気を紛らわして欲しいとおもっているのはたしかだと思った。精神対話士の心のケア、メンタルケアが求められている。

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